ごった煮プラス。

 今日は大学の付き合いで新橋の方へ行ってきた。いわゆる「飲み」というやつだ。
 私は年齢上、成人を迎えてはいるが酒をあまり飲まない。飲むといっても付き合い程度な上、その付き合いも頻繁でないから、余計に飲まない。
 だから居酒屋だとか、ああいう一つのアットホームな空間が、どうも苦手だったりする。いや、厳密には慣れていなかったりする。
 今回も御多分にもれず自分に対して、どこかよそよそしさを感じてしまったのだが、ううむ、どうしたものか。

 微量ながら今、酒が入っているので文章が文章として成り立たないかもしれないが、とにかく、記してみよう。
 今回、私は大学の友人が経営している居酒屋に行ってきたのだが、そこでドイツ人の学生と、ある分野で著名な専門家の方と同席した。
 何故、そんなことになったのかいまいち覚えていないが、店内にはカウンター席しかなかったため、客と客の距離が近かったのが原因だろう。
 こう書いてしまうと、まるで疫病神にでもあったような物言いだが、決してそんな邪な意味合いはない。
 むしろ、出会いを大切にしたいと思っていた矢先であったから、逆にその同席は私にとって好機だと言えるだろう。
 普段、私はしがない大学生で、講義室とゼミ室と喫煙所をローテーションしてるような、そういう人間であるから、尚更魅力的な出会いだ。

 しかしながら、そういう今まである意味培ってきたアイデンティティを超越というか、今日出会った二人は私と別次元の存在というか、何と言えばいいか。
 兎にも角にも予想外の出会いだったので実感がまだ追いついていない。
 最終的にはお二方から名刺を頂き、「是非メールを送ってくれ」とまで言われてしまったのだが、このようなやり取りは生まれて以来、初めてだ。
 だからこそ、今私はとてつもなく恐怖を感じている。何故だろう。何が怖いのか、いまいち、よく分からないが、ともかく怖いのだ。
 私は出来た人間でないし、人生経験だって豊富ではないから、何となしにある事実を、真摯に、そして過大に受け止めてしまっているのだろうか。
 私の母親でも知っているであろう一流企業へ、インターンシップの斡旋をすることも可能だとも言われた。まるで、絵空事だ。

 何度もいうが、私は出来た人間ではない。むしろ、劣悪な人間に近い。しかし、魅力的な出会いは大切にしたい。
 ただ、それがあまりにも突然な上、急加速を誇ると話は違うのだと気付いた。というか、不可抗力で気付いてしまった。
 おそらく私にも、私なりの「お付き合いの仕方」というのがあって、その範疇を逸脱してしまった途端、それは私にとって未知の領域で恐怖でしかないのだ。
 社会人になるだとか、大人になるだとか、そういった過程の中で、こういう出会いは往々にしてあるのだろうか。
 ああ、今に至るまで、本当に私は閉鎖的だったというか、内向的だったんだなとつくづく思う。パターン化された関係の中でしか、生きてこなかった。
 だが、考えようによっては、やはりこれは自分に改革をもたらす機会だとも、思えなくない。やるだけ、やってみよう。私も成長しなくては、いけないよな。
 結局のところ、何が言いたいのか纏まっていないが、私はイレギュラーに弱い人間だったようだ。(省みると当たり前でしかない)めでたしめでたし。