イベント、無事終了。
本日、立川で行われた二日間のイベントが無事に終了した。色々と不安だっただけに、これといったトラブルもなく終えることが出来たのは素直に嬉しく思う。
イベントのクオリティに関しては、スタッフである私よりも参加してくださった方が評価すべきだが、個人的に最悪はまぬがれたと願いたい。
もちろん、課題が多く見つかったのも事実なので、そこはしっかりと次回に活かせていけるように心掛けよう。皆さん、おつかれさまでした。
寺尾聡の二季物語を聴きつつ。
ふとテイルズオブイノセンスの登場キャラクター達を、不思議な改変という名の改悪を加えて描いてみた。
因みに上からイリア、アンジュ、スパーダとなっている。全員、オリジナルと別人のように見えるというか既に別人だが気にしない。
一応、頭の中で「聖女と呼ばれていたアンジュが仮に悪魔の性格を持っていたら」だとか「スパーダのハンチングが風に飛ばされてしまったら」だとかを考えつつ描いていた。
「なんていうか個人的にリアル路線を目指しているくせに、こうして見てみるとそうでもないよな」というのが描き終えた感想。精進します。
愛機ゼンゼンマンと共に。
今日は自宅でBlenderを使って、簡単にモデリングの練習をしてみた。
一応現在リリースされているバージョンでは日本語化が可能なようだが、英語のインターフェイスに慣れてしまったため、あえて日本語化はしないである。
Blenderを使い始めた当初は、その英語が理解出来ずに苦労したものだが、やはり慣れが肝要なんだろう。
上の画像は、イベントで使う予定のキャラクターが「ねんどろいど風」なる可愛らしいものなので、それに沿って胴体部分を作ってみたものだ。
もちろん、これは大まかに形を作った段階なのでこれから全体的に形を整えていく予定だが、この段階で力尽きた私からすると途方も無い作業に近い。
明日までに素体が完成すれば、及第点といったところか。ついでアーマチュアの設定であったり、インバースキネマティクスの設定など、中々に忙しいな。
就中インバースキネマティクスの設定に関しては、いまいち私も構造が把握出来ていない上、「それとなく分かる」というグレードでは厳しいものがある。
将来的には、ワークスコーポレーションから出版されているCGモデリングバラエティあたりを読みながら、モデリングの練習をしてみたい。
ヴァルキリーのような可変ロボットのモデリングも紹介されていたので、個人的に物凄く興味がある。とは言えそれも遠い話であるから、地道にやっていこう。
腰砕け徒然。
今日は大学の図書館へ行き、アルバイトについて話を聞いてきた。今すぐにとはいかないだろうが、来年の春あたりを目処に話を進めてくれるそうだ。
ぼんやりと分かっていたにしても、案外これで良かったのかもしれない。ようやく大学に通うようになった手前、まだ盤石を築けていない部分もある。
まずは一にも二にも大学へしっかりと通い、単位を取得する。それを優先しよう。
それにしても、図書館の職員の方に話を伺っていた時は緊張が酷かった。「私ってこんなにどぎまぎするタイプだったっけ」と疑問に思ったくらいだ。
それが功を奏したと言って良いのか分からないが、「いやあ、君、見るからに真面目だね」などと職員の方に言われる始末。当然、緊張に拍車がかかる。
そんなこんなで面接を終えた後、「職員の方もさぞや気苦労されただろう」などと他人行儀だが考えてしまった。
何はともあれ、一応アルバイトは不可能でなくなった。目指すところは「図書館のことなら、私にお任せあれ」なんて言える図書館の人だろう。
そうそう。これから本腰を入れて勉強するにあたって、Lang-8という語学系のSNSに登録してみた。
Lang-8は「ユーザーがユーザーの日記を添削する」というコンテンツがメインだそうで、これから語学の勉強をするのに都合が良い。
今まで内向的だったため、満足に利用出来るか分からないが、やるだけやってみようと思う。
ごった煮プラス。
今日は大学の付き合いで新橋の方へ行ってきた。いわゆる「飲み」というやつだ。
私は年齢上、成人を迎えてはいるが酒をあまり飲まない。飲むといっても付き合い程度な上、その付き合いも頻繁でないから、余計に飲まない。
だから居酒屋だとか、ああいう一つのアットホームな空間が、どうも苦手だったりする。いや、厳密には慣れていなかったりする。
今回も御多分にもれず自分に対して、どこかよそよそしさを感じてしまったのだが、ううむ、どうしたものか。
微量ながら今、酒が入っているので文章が文章として成り立たないかもしれないが、とにかく、記してみよう。
今回、私は大学の友人が経営している居酒屋に行ってきたのだが、そこでドイツ人の学生と、ある分野で著名な専門家の方と同席した。
何故、そんなことになったのかいまいち覚えていないが、店内にはカウンター席しかなかったため、客と客の距離が近かったのが原因だろう。
こう書いてしまうと、まるで疫病神にでもあったような物言いだが、決してそんな邪な意味合いはない。
むしろ、出会いを大切にしたいと思っていた矢先であったから、逆にその同席は私にとって好機だと言えるだろう。
普段、私はしがない大学生で、講義室とゼミ室と喫煙所をローテーションしてるような、そういう人間であるから、尚更魅力的な出会いだ。
しかしながら、そういう今まである意味培ってきたアイデンティティを超越というか、今日出会った二人は私と別次元の存在というか、何と言えばいいか。
兎にも角にも予想外の出会いだったので実感がまだ追いついていない。
最終的にはお二方から名刺を頂き、「是非メールを送ってくれ」とまで言われてしまったのだが、このようなやり取りは生まれて以来、初めてだ。
だからこそ、今私はとてつもなく恐怖を感じている。何故だろう。何が怖いのか、いまいち、よく分からないが、ともかく怖いのだ。
私は出来た人間でないし、人生経験だって豊富ではないから、何となしにある事実を、真摯に、そして過大に受け止めてしまっているのだろうか。
私の母親でも知っているであろう一流企業へ、インターンシップの斡旋をすることも可能だとも言われた。まるで、絵空事だ。
何度もいうが、私は出来た人間ではない。むしろ、劣悪な人間に近い。しかし、魅力的な出会いは大切にしたい。
ただ、それがあまりにも突然な上、急加速を誇ると話は違うのだと気付いた。というか、不可抗力で気付いてしまった。
おそらく私にも、私なりの「お付き合いの仕方」というのがあって、その範疇を逸脱してしまった途端、それは私にとって未知の領域で恐怖でしかないのだ。
社会人になるだとか、大人になるだとか、そういった過程の中で、こういう出会いは往々にしてあるのだろうか。
ああ、今に至るまで、本当に私は閉鎖的だったというか、内向的だったんだなとつくづく思う。パターン化された関係の中でしか、生きてこなかった。
だが、考えようによっては、やはりこれは自分に改革をもたらす機会だとも、思えなくない。やるだけ、やってみよう。私も成長しなくては、いけないよな。
結局のところ、何が言いたいのか纏まっていないが、私はイレギュラーに弱い人間だったようだ。(省みると当たり前でしかない)めでたしめでたし。
だから、安心していいんだよ。
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内容はというと幾つかの短編からなっていて、「冷たい校舎の時は止まる」という小説のスピンオフ作品にあたるそうだ。これもまた読んでみようと思う。
因みに著者である辻村深月氏の小説を読むのは今回が初めてな上、それがスピンオフ作品となると、本当に楽しめたのかどうか疑問に思われるかもしれない。
しかしそれは杞憂に終わる。ちゃんと、一つの作品として読むことが出来た。それと同時に色々と上手い、とも思った。
ちりばめられたモノたち。
まず一つ目。便宜上、第二章とする「ロードムービー」を読み終えたとき、最後の最後で「ははーん、そうきたか」と思わず唸った。
冷静に考えてみると小説だからこそ仕掛けることの出来るギミック。それを取り入れているだけで、内容とは別の点から面白さを演出してくる。
どこかで見たようなギミックといえど、まさかこの作品でそういったのと出くわすとは思っていなかっただけに新鮮さを覚えた。
次に二つ目。短編集としての「ロードムービー」を読み終えたとき、全体を通して情報の排除に成功している作品だと素直に感じた。
やはり小説ともなると、登場人物がどういう人間で、どういう場所に居て、どういう生活を送っているのか、という描写が必要になってくる。
もちろん、登場人物の内面の描写も必要だ。何を見て、何を感じたのか。それが、どういう具合に作用していくのか。と、挙げていくと結構な数になる。
しかし、その中でも、いや、むしろどの要素であっても、度が過ぎると冗長なものになってしまう。
その点、この「ロードムービー」という短編集はあまり説明という説明がなかった。そんな気がする。
急に現れる登場人物。それがあたかも元から存在していたかのような、何の疑いもない存在感。読者からすれば突然であっても、必ずしも作中では同じでない。
そこが長所でもあり、短所でもある。私はこの部分を長所と捉えたが、人によっては「何かよく分からないまま終わった」と感じてしまうかもしれない。
大人になる、ということ。
この短編集は総じて主要人物の年齢が若い。それは家出した小学生であったり、「良い子」の高校生であったり、塾で講師のバイトをする大学生であったりと様々だ。
そうして彼らは各々、感情を持っている。喜怒哀楽がある。つまり、生きている。
読者の思惑かどうかは分からないが、この「ロードムービー」は、そういった生きている部分を短編集として切り取ったような作品だった。
だからこそ、私が彼らの生活に親近感を感じなくとも、何故か心にくるものがあったのだろう、とも思う。そこを踏まえると本当に良い小説だ。
例えば子供の頃に感じた大人に対する不条理さであったり、何となしに芽生える自身及び周りに対する妬みや悩み。
ああいうも歳を重ねるごとに、というか色々と世間を知るごとにあやふやなものになっていく。むしろ、その不条理さやマイナスファクターを受け入れてしまう。
それがきっと世間一般でいう大人になることなのかもしれないし、ましてやそのある種、寛容さのようなものを否定するつもりだってない。
だからこそ、当時感じた何かとの差を、思い出した。この作品が心に何かを訴えかけてきたのだろう。
こう書くと変な話だが、この小説は思うに私にとって小説なんかでなくて、その訴えかけてきた何かを思い出す一つのきっかけなのかもしれない。
きっと、そのきっかけがふとした拍子にきっかけでなくなってしまったとき、この作品は途端に色あせてしまう。
そのときこそ、私が大人になったときなのかもと考えると、案外、この短編集は鏡のようにも思える。ありふれているのに、何とも不思議な作品だった。