だから、安心していいんだよ。

ロードムービー (講談社文庫)

ロードムービー (講談社文庫)

 久しぶりに「良い小説」を読んだと思った。題名の通り、ちょっとしたロードムービーを見たような、そんな感覚を覚える。
 内容はというと幾つかの短編からなっていて、「冷たい校舎の時は止まる」という小説のスピンオフ作品にあたるそうだ。これもまた読んでみようと思う。
 因みに著者である辻村深月氏の小説を読むのは今回が初めてな上、それがスピンオフ作品となると、本当に楽しめたのかどうか疑問に思われるかもしれない。
 しかしそれは杞憂に終わる。ちゃんと、一つの作品として読むことが出来た。それと同時に色々と上手い、とも思った。

ちりばめられたモノたち。

 まず一つ目。便宜上、第二章とする「ロードムービー」を読み終えたとき、最後の最後で「ははーん、そうきたか」と思わず唸った。
 冷静に考えてみると小説だからこそ仕掛けることの出来るギミック。それを取り入れているだけで、内容とは別の点から面白さを演出してくる。
 どこかで見たようなギミックといえど、まさかこの作品でそういったのと出くわすとは思っていなかっただけに新鮮さを覚えた。

 次に二つ目。短編集としての「ロードムービー」を読み終えたとき、全体を通して情報の排除に成功している作品だと素直に感じた。
 やはり小説ともなると、登場人物がどういう人間で、どういう場所に居て、どういう生活を送っているのか、という描写が必要になってくる。
 もちろん、登場人物の内面の描写も必要だ。何を見て、何を感じたのか。それが、どういう具合に作用していくのか。と、挙げていくと結構な数になる。
 しかし、その中でも、いや、むしろどの要素であっても、度が過ぎると冗長なものになってしまう。
 その点、この「ロードムービー」という短編集はあまり説明という説明がなかった。そんな気がする。
 急に現れる登場人物。それがあたかも元から存在していたかのような、何の疑いもない存在感。読者からすれば突然であっても、必ずしも作中では同じでない。
 そこが長所でもあり、短所でもある。私はこの部分を長所と捉えたが、人によっては「何かよく分からないまま終わった」と感じてしまうかもしれない。

大人になる、ということ。

 この短編集は総じて主要人物の年齢が若い。それは家出した小学生であったり、「良い子」の高校生であったり、塾で講師のバイトをする大学生であったりと様々だ。
 そうして彼らは各々、感情を持っている。喜怒哀楽がある。つまり、生きている。
 読者の思惑かどうかは分からないが、この「ロードムービー」は、そういった生きている部分を短編集として切り取ったような作品だった。
 だからこそ、私が彼らの生活に親近感を感じなくとも、何故か心にくるものがあったのだろう、とも思う。そこを踏まえると本当に良い小説だ。

 例えば子供の頃に感じた大人に対する不条理さであったり、何となしに芽生える自身及び周りに対する妬みや悩み。
 ああいうも歳を重ねるごとに、というか色々と世間を知るごとにあやふやなものになっていく。むしろ、その不条理さやマイナスファクターを受け入れてしまう。
 それがきっと世間一般でいう大人になることなのかもしれないし、ましてやそのある種、寛容さのようなものを否定するつもりだってない。
 だからこそ、当時感じた何かとの差を、思い出した。この作品が心に何かを訴えかけてきたのだろう。
 こう書くと変な話だが、この小説は思うに私にとって小説なんかでなくて、その訴えかけてきた何かを思い出す一つのきっかけなのかもしれない。
 きっと、そのきっかけがふとした拍子にきっかけでなくなってしまったとき、この作品は途端に色あせてしまう。
 そのときこそ、私が大人になったときなのかもと考えると、案外、この短編集は鏡のようにも思える。ありふれているのに、何とも不思議な作品だった。