なくなっちまった悲しみ。

 私は時折、自宅より少々離れた駅から、とぼとぼ歩いて下校することがある。
 すなわち心情だとか情緒だとか、そういう形而上のものが時折、私を歩いて帰そうとする。
 このとき、私の気分はさながら風来坊のようで、見慣れた遠景に路傍の草まで私をそわそわとさせてくれる。
 ようやく季節もゴールドムンドだとかが似合うようになってきた。
 そこで今日は久しぶりにその少々離れた駅から歩いて帰ることにした。残暑の息は長くとも秋らしい肌寒さを感じる。

 頭の中でぼんやりと決まった道を歩いている途中、私はちょっとした違和感を覚えた。
 その少々離れた駅からこれまた少々離れた所にあるはずのものがそこになかったからだ。
 私の記憶が正しければ、インド人が営む小さなカレー屋があったはずだった。しかしそこにはカレー屋ではなくて小洒落たカフェテラスが店を構えている。
 私は馬鹿正直に「ああ、あのカレー屋、閉店しちゃったんだなあ」と思った。
 今の御時世ならばありうる話であるし、本場のカレーを謳えど風当たりの強い業界に違いないから尚更ありうるだろう。
 そうやって頭で理解は出来るのにどうにも悲しい。思わず涙が滲みそうだった。
 もちろんそのカレー屋が行きつけの店だとかいう、いわば思い入れのようなものはない。ただ私を惹きつけてやまない、ある種のみすぼらしさがその店にはあった。

 そのみすぼらしい店の存在に初めて気付いたのはいつの頃だろう。
 大方、私が柄にも無く学習塾に通っていた中学生の頃だろうか。その店は当時通っていた学習塾からそう遠くない上、学習塾へ向かう途中の道沿いにあるからおそらく中学生の頃だろう。
 横目ながらそのカレー屋を見る度、店主らしきインド人が隅の方に置かれたテレビをぽつねんと眺めていて、何故だか私にはその人が申し訳なさそうに見えた。
 客はおらず店員はおらずの閑散とした店内は虚無感さえ漂っていた。
 そうして私は一度だけ、その店に入ってみようかと思ったことがある。
 きっと申し訳なさそうに微笑みながら店主が迎えてくれて、私が辛口のカレーを頼んだりしたらば「ええ、本当に辛いヨ」なんて申し訳なさそうに心配してくれたのだろうか。
 そう考えるとあのとき、あの店に入らなかったことを申し訳なく感じてしまうのは何故だろう。別に私と直接的な関係があるものでもないのに。

 ブライアン・イーノのバイ・ディス・リバーという曲が、いつも以上に悲しく聴こえた。